おともトイレは当たり前??

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中1ギャップをのりきろう!

小・中学生になると始まる「お友だちと一緒にトイレ=お供といれ」小学生のときは、「トイレに一緒に行くのが何だか変だね。」なんて、言いながら面白かった「おともトイレ」中学生でもずっと続けるものなのかな??

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どうして、トイレに一緒に行くんだろう???行かないといけないものなの?

 

昔は女の子特有の「おともトイレ」でしたが、最近は男女問わずに一緒にトイレに行く子どもが増えているみたいですね。

 

社会でやっていくためには、人との関わりを抜きでは生活を成り立たせることは難しいですよね。

学校生活は、社会生活の一部であり、学生時代は、社会に出るための準備期間です。

 

入学したての頃は、小学生のときからの友だちに固執してしまう子どもは多いですが、中学校生活に慣れ始めると部活動やクラスメイトとの交流によって輪が自然と広がり始め、小学生のときよりも自分に価値観や考えがより近い友だちと固まるようになり始めます。

友だちと同じ行動をすることで、自分にとって必要なのか、自分と価値観や考え方が合うのかを模索する時期が中学生時代です。

 

トイレに連れ立っていくというのも模索の一つです。

・自分は行かなくないけど、友だちがトイレに行

 くからついて行く

・友だちに誘われるからトイレについて行く

・グループの暗黙の了解の連れトイレ

 

小学生のときには、特に何も感じなかった「ともトイレ」に負担を感じるようになる子もいれば、何も思わずに継続する子もいます。これは、パーソナルスペースの差が関係しています。小・中学生のパーソナルスペースは、家庭の考え方(親の考え方)によって影響を受けます。

 

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パーソナルスペースとは、人の心理的なテリトリーのことです。 人の心には、ある程度の距離であれば普通に接することができても、それ以上踏み込まれると不快な気持ちになったり嫌悪感を抱いたりするテリトリーがあります。 テリトリーの広さには個人差がありますし、相手との関係によって広くなったり狭くなったりします。

 

家庭のなかで「あの子と一緒にいたら安心」「あの子と一緒に部活をしたら?」「分からないことは、○○さんに聞いたら?」「あの子は同じ部活なの?」と、いった依存を誘発させる会話が聞けば、子どものパーソナルスペースは、自分の意思よりも親の意思に近くなり、特定の友だちへの依存やグループへの依存が高くなりやくすなります。

 

幼少期のころであれば、親同士の繋がりでコントロールやすい子どもの友だち関係ですが、中学生になると子どもは、今まで以上に友だちに興味を持ち、同じような行動をし始めたり、同じような考えや好みが合う子を求め始めます。「一緒にトイレに行く」というのは、いわばパーソナルスペースが狭い関係です。常に同じ友だちと同じ行動を取りたい子ども同士が集まれば、成立する関係ですが、違和感を感じる子がいれば成立する事が難しかなり始め、仲間はずれ、結託等のトラブルに発展するケースあります。

 

かと言って、中学生だからと目を離しすぎると、子どもは親子関係において、寂しさを感じている場合も多く、子どもは家の中や学校の先生の前、親と仲の良い大人の前では明るく、良い子を演じていることもあります。子どもが「良い子」を演じるのは、親の目を引きたいためですから、親には分かりにくく、子どもが「寂しさ」感じていることが分かりにくいところもあります。そういった寂しさを感じている子は、友だちとの関係を強く求め、パーソナルスペースが狭い場合が見られます。

 

おもしろ、おかしく一緒にトイレに行っていた小学生のときとは異なり、中学生からは、相手のパーソナルスペースと自分のパーソナルスペースを意識して少しずつ距離を近づけることも必要ですね。

 

親は、過干渉になりすぎて、子どもの友だち関係や人間関係にまで口を挟みすぎず、また、同様に目を離しすぎて、子どもが何をしているのか分からないといった事にはならないよう、適度な距離感を保ちながら、思春期の子どもと関わりを持つことが大切なことですね。